閃光のような人生を送るために

東南アジアに住む30代男性の日記。

海外でコンサルタントを目指すのはどうか

今日はコンサルタントの教科書を読みました。成功された方の経験はとても刺激になり、将来会計事務所+経営コンサルタントのような事務所を本気で作ってみたいななんて思います。しかし、海外でそれを作った人はあまり見たことないですね・・。一つの大きな壁ですが、人生を賭けるに値する大きな壁だと思います。僕自身、音楽がとても好きで、音楽に自分の人生を重ね合わせている部分があります。それほど、音楽は僕にとって、哲学ともいうべきものになっています。最近、宗教という哲学を失い、改めてそれを感じています。音楽は心底ほれ込んだ本能的な哲学であり、宗教は理性的に考えた哲学という感じがします。また、理屈で考える、という別の哲学も持っていますが、これに関しても、理性的に考えた哲学という感じがします。
僕の本質は音楽にほれ込んだ部分だということへの確信を最近は強めています。

会社の仕事のマネジメントを今後任されることに。

JWをやめて、仕事にいく時間が増えたせいか、会社の仕事のマネジメントを今後任されることになりました。今後仕事の点で大変になるかもしれませんが。海外で専門職というまれな機会を考えれば、良い経験になると思います。私には英語を流暢に話、欧米の世界ともっとコミニケーションをとっていきたいという気持ちがあります。今後、その目標に向かって頑張っていきます。

死にいたるまで一日一日大切に生き、成長していく

今日も引き続き、仕事で忙しいです。JWに所属していたころは漠然と自分が死ぬことなんてないと思っていました。でも、今JWに希望を失い、脱会した状態では、漠然と死を意識することが多くなったように感じます。これが普通のことなのかもしれませんが。私にとってはなかなか今までなかった経験です。いいや、前から死のことは意識していたかもしれません。JWのころから。JWに所属すると死を意識することが逆に多くなるのかも・・。死は無意識である。神に認められなければ永遠に無意識である。逆にあの教えが人々に死の恐怖を植え付けるものだったのかもしれないなんて思っています。
周りの人(通称世の人)に聞いてみると、そこまで死を意識していないのではないかと感じます。この死に対する恐怖感はJWの産物なんでしょうか。
どなたかご意見がありましたらコメントお願いします。
とにかく、死にいたる日まで、ひと時ひと時を大切にし、ドラマティックに生きていこうと思っています。